古民家再生始末記3

もっと早く始末記3をUPすべきでしたがやっと日の目を見ます。始末記3では内装関係を天井、壁、床の順に紹介したいと思います。

天井

始末記2で記載したように、基本的には構造材以外はすべて解体して再生しましたが、母屋部分の屋根は、縁側の木舞部分の化粧板が一枚板のいいものだったのでここは残すことにしました。それで瓦、平木、ノゴメを除去し、垂木はそのまま使用することとした。

垂木は丸みのついた部分もあり、あまりいい材ではありませんでしたが、垂木を交換すると木舞部分の化粧板が使用できなくなるためそのまま使用しました。

また、母屋部分はすべて天井板が張られていましたが、これらもすべて撤去し、小屋組をすべて「あらわし」にして見せることとしました。

天井

構造的には、内側から石膏ボード→断熱材→遮熱シート→通気層→野地板→ルーフィング→コロニアルの順になります。本来ならば日置瓦葺きとしたかったのですが、予算等の面からコロニアル葺きとしています。

屋根天井の施工にあたって苦労した点は、小屋組の取り扱いでした。永年のほこりのほかにシミなどがあり、「あらわし」にするには見苦しい状況でした。そのため、サンダー掛けすることにしましたが、小屋組すべてを解体しないでそのままでサンダー掛けするには、夏場の暑さや、ほこり、加工姿勢など大変な労力を要しましたが、今見ると見応えがあります。天井をなくしたことで小屋組の構造が「あらわし」になり、開放感があります。

防塵メガネ、マスク及びタオルによる被覆など完全防備体制で臨みましたが、この作業でサンダー屑による軽い皮膚炎になりました。

夏の屋根からの輻射熱を防ぐために通気層と棟換気を設けましたが。あまり効果がないようです。日本瓦の断熱効果とその隙間の空気層には勝てないようです。通気層については、ノゴメで空間を作りましたが、5cm位ないと空気がうまく流れないのではないかと思います。また、棟換気については市販のいい金物はないようです。越屋根構造にでもしないといけないのかなと思っています。

壁

内装の壁はすべてスギ板の横羽目仕上げです。スギ板については先に述べたように自家材を製材、乾燥し、モルダー仕上げとしています。塗装はしていません。

構造的に内側からスギ板の横羽目→断熱材→防水シート→スギ板の下見張りとなっています。断熱材は100mmのグラスウールです。後ほど薪ストーブの項で述べますが、薪ストーブの設置してある部分の壁構造は別です。

壁02

内装壁で収納部分の扉については、従来からあったふすまとスギ横羽目のあつらえた扉を使用してデザイン的に違和感のないものとしています。

開口部は、すべてペアガラスのアルミサッシで中窓より大きい開口部は、透明ガラス、シャッター付きとなっています。

以上のような仕様ですから大変シンプルで落ち着いた空間となりました。

ワンルームのキッチン、リビング部分と風呂、トイレへの廊下部分など和室の一部分を除き、スギ板のネダレスを使用しています。

床

ネダレスとはご存知の方も多いと思いますが、床板としては、従来、厚さ15mm、幅100mm程度のヒノキ縁甲板や他の広葉樹材を使用してスギ材はほとんど使用されませんでした。その中にあって、国内で多量に生産されるスギ材の新しい用途として考案されたものですが、厚さ30~35mm、幅150~180mmの板を大引きの上に直接張り、根太を使用しない床材、つまりネダレスというわけです。板を厚く加工して使用することで30cmおきの根太に床板を張っていたものが90 cmおきの大引きの上に直接張ることができるようになりました。このような使用方法は、江戸時代の城などにもみられます。

床02

そのため、根太とその造作が不要となり、工事費の削減と国内で多く生産されるスギ材の有効活用につながる工法となっています。欠点としてスギ材の床板は、材が柔らかいため傷がつきやすく汚れやすいことが挙げられますが、一方で足触りがよく人にやさしい快適な住まいとなります。傷や汚れも家族の生きた証と考えると悪くないと思います。どうしても気になるときは、厚さがあるため、サンダーで簡単に磨くこともできます。さらに表面をブラッシングして年輪を浮き出させた「浮づくり(うづくり)」は、足触りの快適なものとなっています。ネダレスは、住宅の洋風化とともに、今後、大いに普及していくのではないかと期待されます。

さて、わが髙田の古民家の床は、内側からネダレス→コンパネ→ウレタンの断熱材で、和室の畳の部分は、畳→コンパネ→ウレタンの断熱材となっています。

20畳ほどのリビングダイニングはすべてネダレスの杉板張りで、12畳の和室は畳を7.5枚敷いて残りはネダレスの杉板張りとしています。森と木の研究所のメンバーが同時に6名就寝することができました。

子供たちの遊びのスペース

また、この地方では、居間の三和土の上にモミを収納する場所を設けていますが、ここを活用して子供たちの遊びのスペースとしました。


古民家再生始末記2

始末記2では、自家山林の伐採、製材及び外観など家全体について紹介し、次回から内装、風呂、台所、薪ストーブなどについて順次書いていきます。

建築工事は、平成25年の5月から7月にかけて実施しました。

伐採

古民家再生に使用した木材の大部分は、自家山林を伐採して使用することにしました。伐採、搬出、製材と手間はかかりますが、林業技師としては、せっかく育てた自家山林の木を使用したかったからです。幸いにして、伐採する林業事業体も、大径材を大割する送材車のある製材所も、高度加工のできる南薩木材加工センターも近くにありました。

所有山林は数か所に分かれているのですが、そのうちの一か所が林齢や“出し”から適当であると判断し、伐採することにしました。

森林は、古民家のある集落から1.5Kmほどのところにあり、面積が0.6ha程度でスギとヒノキが立っています。伐採したのはそのうちの約0.25haで100本ほど立っていました。樹齢58年、胸高直径30~80cmでスギ7、ヒノキ3の割合です。

地位(林地の生産能力)が良かったせいか、樹齢の割には大きく、毎木調査の結果、100本で約100m3あることがわかりました。今回は、その一部を使用することにしました。

伐採は南九州市の林業事業体の園田さんにお願いしました。伐採する林分からから幅員2.5mの作業道まで20~50m位のいい条件であり、地利級としてはいい方です。

これらの木材は、直径が大きく、南薩木材加工センターのノーマンツインソーに入らないため、送材車のある近くの有薗製材所で製材しました。

すべてが良質材というわけではなかったのですが、そこそこの板材、構造材を採ることができました。

伐採した自家山林

伐採した自家山林

目通り周囲240cm

目通り周囲240cm


製材所に運び込まれた丸太

製材所に運び込まれた丸太

荒挽きした製材品

荒挽きした製材品


施工

古民家再生を行う場合に問題となることの一つがどこの工務店を選ぶかということです。新築やリフォームを専門とする工務店はいくらでもありますが、古民家再生を経験した工務店は意外に少ないのではないでしょうか。幸いにして、小生は、木造建築や木材についての若干の知識があったので、自分である程度の施工管理ができると考えたため、むしろ小さな小回りの利く工務店が適当であると考えました。

古民家再生をする集落内の出身で、鹿児島市内において工務店を経営している方がおり、工事をお願いすることにした。発注方法としては、見積り契約で完成後精算する方法としました。

解体工事

基本的には柱、桁、梁、小屋組みなどの構造材のみを残し、他はすべて解体することとしました。厩(うまや)の部分は中二階をなくし、母屋部分と屋根を揃えるため屋根も解体しました。ただ、母屋部分の屋根は、縁側の木舞部分の化粧板が一枚板のいいもので、解体するのがもったいないので、平木、ノゴメのみ除去し、タルキはそのまま使用することとした。

壁、床、天井を取り払い、柱、大引き、梁、桁、小屋組みのみになった母屋部分。

大引きは丸太のままである。

独立基礎で柱は、土台石の上にの上に乗っている。

きゃくろ(客櫓?)づくりで筋違などは全くない。

外観

小生は、前から住宅の外装は木材の南京下見張りにあこがれていましたが、市街地に建築する自宅は、法的な制限から実現できないため、やっと川辺の家で実現することができました。

板は、スギを使用し、南薩木材加工センターで乾燥、モルダーがけ、防腐、防虫処理を行いました。加工は、厚さ18mm、幅150mmとし、ステン釘留めとした。下見板張り付け後に、キシラデコールのカスタニを塗布しました。

この工程の板張り工事の一部と防腐剤の塗布は、自ら楽しみながら行いました。時間を見つけながら行ったため、最終的に塗布が終了したのは、平成16年の5月です。

なお壁の構造は外から室内側へ、スギ板、防水シート、断熱材、スギ横羽目板の順です。

西南方向からの外観

西南方向からの外観

左が厩、右側が居住区域

厩は車庫、作業小屋に使用

厩の左は架け干し用の長木、支柱置場

スギ板の南京下見張り

スギ板の南京下見張り


古民家再生始末記1

森と木の研究所のホームページに「とっておきのいい話」のコーナーが一年ほど前から設けられていましたが、やっと原稿ができました。とりあえず、大坪が「古民家再生始末記」というタイトルで升目を埋めます。何回かに分けて書きますのでよろしく。

はじめに

小生の出自は南九州市の川辺町ですが、父は勤めの関係で鹿児島市に居を定め、小生は鹿児島市内で育った。しかし、川辺町の方に小さな家と若干の田、畑、山林があり、父亡き後、その管理を小生が引き継いでいる。しかし、アウトドアの好きな小生は、これらの資産を管理するというよりは、アウトドアのフィールドとして楽しんでいる。

古民家再生の目的は、資産の管理と余暇の基地としてである。

古民家

今回、古民家再生を実施した川辺の家は、高田という集落の中にあり、元々、母方の祖父母が二人で住んでいた。ちなみに、集落から2.5㎞のところに高田石と呼ばれる溶結凝灰岩の石切場があり、祖父はそこで石工をしていた。祖父母が他界してから約30年間は、父が管理のため週1回ほど帰省して利用していた。周囲は人家に囲まれているが、過疎化で非住家が多く、集落の中にありながらも比較的静かな場所である。

この集落は、50t数年前に大火があり、ほとんどの家が燃えつくされ、古民家といっても昭和35年ごろ建築された築55年ほどのもので、さほど古いものではない。しかし、純木造の手作りで、明治、大正以来の当地方の民家づくりの様式をよく伝えており、古民家と呼んでもいいのではないかと思っている。

古民家の構造

当地方の典型的な農家は、母屋と厩が併設されており、母屋は一階建てで、厩は中二階建てとなっている。屋根は平木の上に日置瓦葺の入母屋造りとなっている。

壁や床を解体し、構造材の様子
残念ながら解体前の写真は残っていない

構造的には典型的な「きゃくろ」づくりで独立基礎となっており、床はすべて柱にホゾで組み込まれた大引きの上に架かれている。きゃくろづくりであるため当然のことながら筋交や耐力壁はない。

玄関と台所の部分は張り出して建築されているが、今回は、取り壊し減築した。

外壁はスギの3分板縦張りで内部もスギ板張りである。外壁は防腐のため下部をコールタールで塗布してあった。


典型的な川辺の農家

厩が中二階で1階は牛馬を飼い、二階部分は農具等の物置場や稲わら等の貯蔵庫として使用していた


木材

使用している木材はすべて自家山林からの供給材であり、良質材は少ない。むしろ節が多く曲がりのある木を大切に使用している。

柱は、4から8寸角で表間がヒノキで、居間がスギとなっている。横架材の梁桁はヒノキかマツとなっており小屋組みも同様である。また大引は、末口径30cmのスギ材を丸太のままで使用している。

木材加工

隣の集落に昔から製材所があり、柱や板材は、そこで送材車により製材し、カンナ仕上げとしている。梁は太鼓に挽いたものを釿(ちょうな)で斫(はつ)り使用している。また、当然ながら仕口や継手は大工による墨付けと手加工である。

屋根下地は、スギ材の手割りの平木を使用していた。昭和30年代までは、平木の手割職人がおり、「ヒラッグァイ」と呼んでいた。

その他

集落の民家は、最近建築されたものを除き。建坪の差はあるが、ほぼ全戸が同じ構造、外観となっている。

先に述べたように石材の産地が近くにあったことから、高田石を厩の基礎(堆肥を積んだり、牛馬を飼うために1m以上の高さがある)や屋根の棟石や鬼瓦に使用している。

東西ともに入母屋造り

基礎の高い厩の作り


古民家再生の方針

古民家再生にあたっては、経済的な問題と常時住む場所でないことから可能な限り安価に仕上げることとした。しかし、再生の目的が、快適な住空間を得るためだったことから壁、床、天井の断熱や水回りの利便性には新築同様の配慮をした。

したがって、壁、床、天井には十分な断熱材の挿入とすべての開口部はペアガラスのサッシ戸とした。また、水回りについては下水道施設がないため、合併処理槽を新たに設置し、トイレの水洗化とキッチン、風呂の排水を行うこととした。

外壁は洋風の板張りとし、屋根は、日置瓦葺きとしたかったが、経済性と維持管理の容易さからコロニアル葺きとした。

また、家の内と外の接点としての役割を持つウッドデッキを居住部分南面全体に設置することとした。

同時に、鹿児島の自宅も建て替え、必要な用材は自家山林を伐りだして使用することとしていたため、川辺の家に使用する木材もすべて自家材を使用することとした。

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